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Fritz Rudolf Künker GmbH & Co. KG
Auction 380  2 Feb 2023
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Lot 675

Estimate: 100 000 EUR
Price realized: 140 000 EUR
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BRANDENBURG-PREUSSEN. PREUSSEN, KÖNIGREICH. Wilhelm I., 1861-1888
Goldmedaille zu 120 Dukaten 1871, von E. Weigand und F. W. Kullrich. Generalsmedaille auf den Sieg über Frankreich. Kopf r., umher ein breites Band mit den Namen der deutschen Generäle, des Reichskanzlers von Bismarck sowie des Kriegs- und Marineministers Graf von Roon//Germania sitzt v. v. auf einem Podest, in der Rechten ein Schwert, die Linke auf einen Schild gestützt, l. die stehende Siegesgöttin, die einen Kranz über Germania hält, r. die stehende Friedens­göttin mit Eichenzweig und Füllhorn, im Abschnitt das Eiserne Kreuz zwischen den Jahreszahlen 1870 - 1871. 84,69 mm; 418,41 g. Hüsken 7.277.1; Sommer K 70 und W 17.
GOLD. In Gold nur 25 Exemplare geprägt. Von größter Seltenheit. Prachtexemplar. Vorzüglich

Exemplar der Auktion Gerhard Hirsch Nachf. 186, München 1995, Nr. 1910 und der Slg. Hans-Wilhelm Wiebe, Auktion Fritz Rudolf Künker 120, Berlin 2007, Nr. 2040 (dort als Titelstück).
Das hervorragend gestaltete Medaillon wurde in Gold lediglich in 25 Exemplaren geprägt. Davon waren jeweils ein Exemplar für den Kaiser, für Reichskanzler Otto von Bismarck und für Kriegs- und Marineminister Albrecht von Roon sowie 22 Exemplare für die auf der Medaille genannten Generäle vorgesehen. Das Porträt des Kaisers entstand nach einem Gipsmodell des Berliner Bildhauers Carl Keil, die Rückseite entstand nach einem Entwurf des Dresdener Professors Theodor Grosse. Es handelt sich um eine der seltensten, bedeutendsten und begehrtesten Dokumente der preußischen und deutschen Geschichte.

出品履歴: ヒルシュ・ナッハフォルガー186、ミュンヘン、1995年、ロットナンバー1910及びフリッツ・ルドルフ・キュンカー、ハンス・ヴィルヘルム・ヴィーべ・コレクション、ベルリン、2007年、ロットナンバー2040(表紙タイトル)

この美しく造られたメダリオンは金では25枚のみ造られた。この25枚から皇帝、ビスマルク宰相、陸軍-、及び海軍大臣であったアルブレヒト・フォン・ローン、それに続く、このメダルに名前が記載された22名の将官に贈られた。このメダリオンの皇帝の肖像はベルリンの彫刻家カール・カイルによってデザインされた。裏面の意匠はドレスデンの教授テオドール・グロッセのものである。これは極々希少な、有意義かつ誉高いプロイセン及びドイツの歴史の遺産である。

この将官メダルのヒルシュ社での出品(1995年5月11日)に当たってヴィルヘルム・ヴィーべ氏の家族のある友人が手記を残している

「もし私位の年齢の老人が、もう新たな体験はできない。オーブンの前、テレビの前に座るだけだ、と信じているのなら、ハンス・ヴィルヘルム・ヴィーベと友人である限りそれは間違いだ。

-5月のある日ハンスはオークションに一緒に行こう、と訊かれ、もちろんと私は答えた。サザビーやクリスティースを体験してきた今、私はコイン・メダルオークションがどのようなものなのか興味があったのだ。

-5月10日、午後1時前にバイヤリッシェン・ホーフでハンスと落ち合った。私は一番上物の青のブレザーを纏い、明るい色のズボンを履いていた。待ち合わせに来たハンスのブレザーも青かったが、パンツは私と違ってチャコールグレーだった。二人とも勿論ネクタイはエルメスだ。後になって私は多数のオークション参加者がジーンズで来るのを見る羽目になったが。

-ヒルシュ社はホテル、バイヤリッシャー・ホーフの隣のデパートの4階分をオークションの為に貸し切っていた。小さなカフェ、パチェリでオークションが始まる前にヒルシュ社の社長、ベルンハイマー女史と会うことが出来た。まだ空いている会場に入場し、20個ほど椅子が並べられた長い机を眺めていた。その机の端に、オークション進行役のベルンハイマー女史の椅子を見つけた。段々と会場にも参加者の数が増え、6、7名の紳士達が我々の斜め横に座り、雑談を始めているのを眺めていると、ハンスが私に『あいつらがコイン商だ』と囁いた。

-この日の午後はメダルの出品だ。-始まった。ハンスにとっても順調にオークションは進み、一番のハイライト、ロットナンバー1910(この品)の番が来た。会場もにわかに活気づき、特にコイン商たちは色めきだった。スタッフがこのメダルを紹介し、参加者に見せて周った。本当に美しいメダルだ。この後数分間に起こった出来事はドラマというに相応しく、私の最後の髪が逆立つほどだった。

-予想価格3万マルクに対し、スタート価格は2万7千からだった。ハンスはすぐさま“30!“と叫んだ。あるコイン商は40と応対し、入札は続いた。ハンスは50、ライバルは60、ハンスはまた70、続いて80と呼応、ハンスはそれに対し90と価格を釣り上げ、私はライバルのコイン商がため息をのむのを確かに聞いた。遂には10万マルクの大台に乗り、ハンスが110と言ったところでまたライバルのコイン商が120と不躾に叫ぶのが聞こえた。会場内のだれもが固唾を呑んでいた。ハンスは最後に勝利の確信と共に130と叫んだ。私にはハンスがライバルに対し、東プロイセン人の戦いざまを見せつけているように感じた。ライバルからはもう声がでなかった。進行役がカウントダウンを終わらせ、後にあるコイン商が専門雑誌に寄稿した記事にあるように、こうしてハンスがこの美しい、ドイツで最も価値あるメダルの幸せな落札者となったのだった。

-…ハンスが興味のある出品が全て終わり、荷物をまとめ、私に『行こう』と耳うちした。いつしか満員になっていた会場を通り、コイン商の集団のところにさしかかるとハンスは『ライバルはあいつだ』と大きな声で私に言ってきた。私は背中にナイフが刺さらなかったことを喜びながら、会場を後にし、建物を後にし、魂が安息を覚えたころには私たちはもう再び、ただの通行人であった。」

(当時、両名とも75歳)
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